Memosphere

HPのことや、日々のことなど

外国の、個人を尊重する在り方に惹かれる系の方が、夫婦同姓や『お母さん、お父さん』と言った呼び方に拒否感を抱く理由が分かったような気がする(正直、自分や身内は名前で個人がどうこうなんて左右されないけどな感覚なのですが)
親と子というより、夫婦と子…個人と個人っていう意識が強く、個人が尊重される社会こそ目指すべき共同体とのイメージという感覚なのかなっと(親とは?っと日本人の感覚的には思うけども)
外国のあり方は、そういったものを繋ぎとめていく為の社会保障、規制であり、それが安心と理想なのかなあって。
個人的にはどうなのか…っと思う所もあるのですが、結局のところ合う合わないで正しいかどうかとか優劣をはかるのは難しいんじゃないかと思います。
日本のあり方を抑圧の呪いのごとくのように感じる方にはそうは思えないだろうし(日本も先進国として合わせたほうが良いと思うらしい)、日本の方が良いと思う方には外国のあり方に納得出来ない(けどもまあ、他所は他所、うちはうちっていう感じみたいだけども)っという感じな気がする。

立憲とかリベラルの定義や意味なんてその時々や人や国で解釈とかで異なっている気がしますね。
(そして意味合いの受け取りが悪くなれば別の言葉で表現し出して…のループな事もあるよね…)
なんか意味がどうとか、本当はこうだ…みたいなの見かけるのですが…。
個人的にいわゆるリベラル(日本の?)…っというと、インテリみたいな印象でしたが、最近は…察しろというので察した結果、…なんかお金持ちの発想っぽいなあ…っと感じる時が。
別にお金持ちとか、学歴があるのがいけない訳ではないんですけど(ないよりはあったほうが良いとは思う)、理想の割に責任背負いたがらないというか…逃げれば良いっていうの…それは身動き取れない層に自分たちがやりたくない事を押し付けて行く事にもなるのでは?っという感じで…(逃げるのはひとつの手だし、それ自体が悪いとはまた違って、逃げれないのは自己責任なところもあるだろうし、上なら犠牲になるべきっという訳でもなくて、ただそれを前提になさるなら弱者に寄り添うっというのはどうなの?っと)、差別への加担、加害者意識を自覚するべきとか、弱者に寄り添ってとか言うけども…出自や学歴で強弱(加害者被害者)を判断するのって…差別化では?っとか、出自や学歴をよく知らない人のひととなりを判断する材料のひとつではあるとは思いますが、それで相手と自分や社会的な関係の上下を決めてしまうの、乱暴というか、それも偏見の一種ではないのか?って感じる事もありますね。
(とはいえ右翼とか保守が責任もってやっていると言えるのかというと、そうでもない事もあるとは思いますが、いわゆるリベラルとかをよく知らない人にも浸透していた、謳ってきたイメージの分だけ、ガタ落ちしてるのかなあっと…)
本当にリベラルが排除されているのかというと、そうでもない気がしなくもないです。
いわゆる右とか判断されている人たち、割と中道か左な印象あるので。
というかこの場合のリベラルの定義とは?っという感じ…。
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