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HPのことや、日々のことなど

今年のコナン映画が愛国プロパガンダ的な話題を見て、
シン・ゴジラの時とかも似たような話題があったなー…って思いました。
現実とフィクションは違うけど、子供が観るものでもあるから愛国的なの危険っていう意見とかもあるみたいですね。

…そもそも愛国であっても盲目的ではなければ良いんじゃないんですかね?
(愛国的なものを宜しくないからと教えないっというのは子供から学ぶ権利を奪ってはいないんだろうか?)
愛国=(保守的?に)盲目的で悪いことだっていう認識なのも偏っている気がします…。
(というか別に前提として愛国主義的なものという訳でもない気がするんですけど…)

自分の所属する共同体(国、社会、政府、組織)を個人を侵害するものとして認識しすぎというか…その割に個人を尊重する為の福祉を共同体に求めるし…。
加害者(権力者、強者)だから被害者(個人、弱者)に悪いとひたすら殴られつづけられるのは仕方ない、改善しろ!って…、加害者被害者の定義に該当するのかというところから疑問なところもありますが、被害者だから殴って良いとか、殴り続けていれば良くなるっていう発想ですか?ってなるような…。

組織がうまく機能しているのが現実味がないっていうのは現実の…会社や家庭とかで自分の思うとおりにまわっていかなくて辛いっていうのを特に周囲のせいだと意識している人にありそう…。
会社とか家庭とか…共同体ですからね…個人の集まりなので、個人の自由にいくのは難しいですよね。
個では無理な事をより全体をもって利益になるように、互いが妥協しあったりして協力していくのが共同体でしょうから…。
そこで生まれる馬力の余力が個人の自由だと思うのですが、何より個人の自由が最優先されるべきが共同体っという認識の方だと組織がうまく機能する作品は現実味を感じないどころか、今の(自分にとって)嫌な環境を礼賛、賛美、美化しているって思ってしまうのかも。

組織が頼りないから個人が活躍して終わるっていう方が、中々にフィクションな気はしますが。
現実では難しいからフィクションとして楽しめるから問題ないって思うのかも知れないですね。

多様で寛容な社会であればあるほど、100%個人に合う共同体のあり方ってないと思います。
日本の社会という共同体の組織が、今のところ嫌な事を多いと感じる人にとって、
日本の組織をうまくいっているように描いた作品は礼賛、賛美、美化した愛国プロパガンダだっていう風にみてしまうのかも知れないのですが、それは誤りだと思うし、そう思うなら国というものに福祉を求めるのもどうかと思うこともありますね…。
だって本当は、国に、社会に、うまくいって欲しいんですよね?
円滑に事が進められたほうが楽だからこそ、福祉とか共同体に求める訳で…。
うまく(無条件にではなく、各々が動いた事で)困難に対応できたっというのは良い事、ですよね?
(すべてが丸く収まったかは別として…妥協点としてはうまくいった、んだと思う)
でも自分にとって愛国賛美(に見えた)からと、うまくいったのを批判されても…うまくいったら悪いのか?って思わなくもないというか…。
ブラック企業のままのほうが良いの?ってなるというか…。
うまくいった例(フィクションだけど)で愛国良くないってなるのもどうなのかと…。

正直、愛ある叱咤だからっていわれても、愛があるようにも見えないこともあるし、愛があれば良いという訳でもないような?って思わなくもないし…。

とりあえず、子供が観ても愛国に染まるとは思わないかな? 
格好良いとかは思うかも。 でも子供って、他とは違うこと(不良とかアンチヒーロー?)をしたりするのも、非協力的な行動とかも格好良いとか思ったりするので、別に…。
あと映画の監督とかって、割と左系の人が多い(アニメはどうか知らないけど)と聞くのですが、それを観て育った人達は左ばかりになるんですかね?
で、左なら良いんですかね?(でも自称とかいわゆる左的な方、結構保守的に見えたりするんですよね…)
…右だろうと左だろうと過ぎれば問題な部分もあるだろうって思うのですが…。
暴力的なのはどちらもでありますし…。
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