Memosphere

HPのことや、日々のことなど

同性愛や性同一性云々で、なんか違和感あるな、認識ズレてるなっと思ったので、
再度調べ…。
途中で私の頭の限界がきて、また中途半端なのですが…。

前から違和感あったのですが、キリスト教がーっという話がでてきて???ってなったんですよ。
ここ日本だからキリスト教の影響受けて云々は…多分あまり関係ないよね?って(日本対象の件だったので)
日本と海外で比べられても???ってなっちゃうんですよ(当事者の中には混ぜないでっという話もあっても、時々混ぜて語れるものも見かけるので、さらに???っとなり…)
何も影響受けてないってことではなく、何か昔からの云々系だったので、混乱しまして…。
あとキリスト教と精神科医の関係というか、歴史というか…知らないこといっぱいで…。
用語も古い知識だったなと反省…しかし便宜上今でも使われているみたい?

それにしても『マジョリティの中のマイノリティ』を前提にしたものが多いみたいなんですよね。
当事者にも色々あって、当事者ではないのも色々あるのに、
『マイノリティ(当事者)』と『マジョリティ(当事者ではない)』という立ち居地で、お互い見てて、違和感があります。

そもそもマジョリティとかマイノリティって…主体性(アイデンティティー)というのに該当するのでしょうか?
(前提としてついてまわるので、一面ではなく全面、その人の根幹というか根本を指しているかのように見えるので…)

私の場合、マイノリティも普通を構成する存在だという認識…思っている、だと思います(あらためて言葉で説明するの難しい…表現として合ってるかな?)
マジョリティもマイノリティも、普通を構成している人間っていう感じ。
だからいわゆるマイノリティっと言われる人(達)の事は、
こういう人なんだっていう個性、で見ているというか、個人かな?
私に合う合わないがあるように、相手にも合う合わないがあるんだろうっという感じ、なんですよね。
別にそれは性にかぎった話ではないだろうなあって思うんですが…。
度合いに違いがってなっても、その感じ方もそれぞれなところあるし…うーん?
っとなったところで私の頭はごちゃごちゃになりました…。
マイノリティっというのがその人を構成する一面であるっという認識かな?
全面ではなく…。 だからマイノリティとかマジョリティとかそういうのを否定したいという訳ではありません(そう見えるかな? そう見えてしまう部分があるかも知れない?)

調べてると、マイノリティという前提でお話するマイノリティの方(もしくはよく知っている方?)が、
『自分(達)は普通である』っとおっしゃると同時に、
『自分(達)は普通になりたい』とおっしゃるので、???ってなってるんですよね…。
同時に普通ってなんだろう…っともなるんですが…。
なんかマジョリティだとかマイノリティだとかそういうフィルターを通して見ていて、
実際の問題が分かりにくくなっている、ような気もします。
そもそも、自分も相手もわかり辛い。 誰と向き合っているんだろう?ってなるんです…。
人間複雑だから、どっちか一貫してるとも限らないだろうし、
当事者ではない立ち居地だから分からないっていうもあるんだろうとは思うんですけど…。

海外と日本的感覚が混ざっているズレなのかな?
海外的認識+日本的認識=で混ざった事案(あるいは社会?)を、日本的な、合わせる(空気を読む?)的感覚でみることで、更に複雑化してしまっているような???(自分で言ってて何それになってますね…)
日本的だったのか海外化したズレ? うーん…。
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