Memosphere

HPのことや、日々のことなど

よく差別反対、差別がーの話題で、行った人の意図、視点を変えた時、
それは差別なの?っと、なるものもあるんですが、
そこを指摘した場合の回答として、
それはことの本質ではないっと。
ではことの本質は何なのかっというと、
無意識により差別意識(感情)が問題っというような回答。
なら突き詰めていくと、人間は差別感情、差別構造が当たり前、ということだから、
遺伝子でも操作するか(それは人間やめるって事かも知れない)、
生まれないようにするのが一番最適だという事ならないのかなあ?っと思えなくもないんですよね…。
それは無理だから教育で云々というえけれど、今度はそれが多様性をなくし、個性や尊厳を無視した洗脳になりかねない、型に当てはめた人格を形成するってことになりかねないのでは?っとか。
多様性をかかげながら差別反対の場合は、このあたりをどう解決というか折り合いつけていけるのか気になります。

っというか差別という言葉にマイナス感情をあってこそって感じですかね?
差があって別になるには悪い事なのかな?
年齢による差も、悪いものです? 男と女の差は悪いものなんです? 男は悪いです? 女は悪いです?
それらの差は優劣なんですか?ってなる訳で…(差別が無いって言いたい訳ではないです)
不当な差別かただ差があって別になる差別なのかで違うのは分かってますが、
一緒にして、全ての差別が悪いっという印象になってきてる気がする…。

根本的に差別がっという場合をきいたりするけれど、
差別と向き合っているようには見えないものもあって、
結果によっては、差別を保存、維持してることになってしまっているように思えるので、気になります。
定義決める為に議論となると、広義の意味でーっとかになるし…。
広義の意味で良いなら、差別でもないんじゃないか?っともいえる事になるような気が…。
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