Memosphere

HPのことや、日々のことなど

普通だとか当たり前の幸せというのは、押し付けだとか奴隷みたいで嫌とか仰りながら、
普通になりたいって仰る方の言う、普通って、
ファフナーで言うところの祝福(突然ファフナーの話題をぶっこむ)ってやつかなあ?って思った。
祝福=その状態が良いとされる状態=調和(みたいな意味だった記憶…ソース探そうとしたけど行方不明に…)
(ただファフナーで祝福担っている人達って自分で取捨選択してその負担やら責任やらを負っているけど、普通を嫌がりながら普通になりたいって仰る方は、それらは周囲が背負うべきっというような感じの傾向がある気がする。
個人的は普通って大多数=個(少数)の集まり=の平均値であって、大抵の人は普通ではないようなっというか結構多様性に富んでいるのでは?って思うんですけどね)

良い状態である証明という形はステータス、なんだろうなっというか…。
形は時々重いから分からなくもないし、女性同士の界隈だと同調圧力的に、ステータスがあると無いでは自身の立場の保障度が違うだろうなあって思う。

以下は自分の中でもまとまり悪いというか、人によっては気分を害されるかも知れないので隠します。
責めたいとか叩きたいとかではないんですよね…。
自分にだってそういう部分が何一つとしてない訳でもないだろうし…分かるんだけど、それってどうなのかな?って思ったり、複雑な気持ちなるような、というか…。
少なくとも、呪いの言葉として吐き出したい気持ちではない…っと思う(自分の中の感覚では)
呪いって究極の煩悩だっけ?
個人的に女性同士の保育や社会進出に関しては、男性や社会、国がどうのっというより、女性が自らのハードルを上げて、打開策として男性や社会、国に対して訴えることで女性自身の環境のハードルを下げようとしているというか、補強したがっている印象受けるのが間々あるんだけど…女性に取捨選択による責任を負わせるのは差別だ、公平ではないとかいう感じの見かける…そういうのばかりでもないけど、なんか福祉求めるばかりで金(税金)払っているんだから何とかするのはそちらの義務でしょう?、的な…それは確かにそうなんだけど、お客様は神様的なというかブラック企業(の経営者?)に繋がっていきそうな…義務は果たしたから恩恵当たり前、だけどその当たり前は奴隷だとか、自分は逃げるのが個人の自由だとか権利とか、感謝してるっとか仰りながらだと何というか…周囲に対しての憎しみ(責任転嫁というか過多気味にしている)のほうが大きそうかなって思うんですよね…。 憎むな、とは思わないけど…。
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