Memosphere

HPのことや、日々のことなど

いわゆるマイノリティ、彼らに理解ある方々のお話を読んでいると、
…マイノリティ、弱者というけど、普通の人な気がする…って思う事もあるんですよね。
普段の生活、関わりにおいて、不快な事、ストレスが酷いとか、その事で身体に変調をきたしたりとか、悩みながらも学んだり、仕事したり…休んだり…、ぶつかったり…なんか、普通の人だなって。
よく形に拘らないでとか、普通になりたいとか聞くけど、拘って普通に生活しているっていう感じあるというか…。
マイノリティにも多様な考えの人がいるので一人一人のケアが、とか理解を求めたり、諭されたりと、マイノリティと一括りにするのは乱暴だっと仰るのとか目にするのですが…マジョリティも多様な考えの人達の集まりで、それぞれ違うけど、我慢したりしてある種の型に沿う事で得られる権利のほうを選んでいるだけで、マイノリティ的側面も持ち合わせた普通の人だと思うので、マジョリティと一括りにするのも大概、乱暴な気もするんですよね…。

マイノリティや彼らに理解ある方々のマジョリティに対しての理解云々って、
一クラスを抱える先生(=マジョリティ側として)に、個人(=マイノリティ側として)に見合った指導をするべきって言ってるような、筋違いというか畑違いみたいな印象がする時があるんですよね。
専門違うのでは?っていう…そういうのは家庭教師とか…ってなる。
社会が担うべき分野(権利とか)と個々の分野が混ぜられちゃっているような…って。
混ぜるべきではないとか、そういう極端な事を言いたい訳ではないのですが。

普通になった後(マジョリティになった後)、これまでマジョリティが担ってきた負担を自らも担う事になるだろうけど、それについては解答見かけた事ないんですよね(見ているところが偏っている可能性…)
どういう立場になってもマイノリティとしての視点固定という感じで…(変わらないものなのだろうか?)
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