Memosphere

HPのことや、日々のことなど

男性保育士を問題視しているのではなく、安全な環境の整備というけど…。
例え、監視してもロボットにやってもらっても、安心の納得はなされない気がする。
というか安心を求めている訳でもなさそうに見えることがあるというか…。
求めるレベルとそれにどう向き合う(=落としどころをつける)のか、その辺は把握し辛いんですよね…。
落としどころを求めていないのかも知れませんが…(それはそれで構わないんだけど、それだと意見の異なる相手と争い続けるの?っていう感じに…。 異なる意見が駄目だというなら、自身の見解に確固たる信念なり、正義なり筋が通っているっと思っている訳でしょうし…異なる意見が駄目なり悪なり敵視するのも当然なのかなあ…)
コストを払う、リスクを背負えるのなら、監視なり、ロボットなり、やってみては?っと思わなくもないのですが、その辺は割と行政とか社会にお任せ(他人事?)な感じで…意見が極端なように感じるというか…。
行政というか、大多数という社会に対して、父性求め過ぎというか、ファザコンを拗らせているような…っというような感じに見えてくる時がある…。

普通ではない事に、憤るということは、『普通』に拘っている場合があると思う。 『らしさ』とか『自由』とかじゃなくて。
だから違う規範(自分が思うらしさや自由という普通)をもって、普通になりたい、これが普通で良い、っていう方向に持っていこうとする感じ。
普通は平均値、平均値を規範にして、模範(理想)とした社会っていう感覚だから、普通ではなくても、まあ個性(らしさ、自由)では?って思うので、『普通』に随分、反応なさるなあ…って思う時が…。
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