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HPのことや、日々のことなど

纏まり悪いけど、もうこれで良いや…(限界…)
ポリコレ棒と呼ばれてしまうのは何故か、みたいな事を考えてちょっと吐き出し。
いわゆるリベラル(?)さんが差別者だと判断するマジョリティって、

「当事者ではないので理解は出来ない事もあるし同意出来ないとこもあるけど尊重するよ」

っていうような事を仰っていると思うのですが、
いわゆるリベラル(?)さんは、嫌悪を表明した=加害行為だって思って、そういう事をする人は理解を履き違えているとか、同意や共感出来ていないから、マイノリティの事は尊重しないやつ=差別者、みたいな感じでポンポーンっと答えだしている感じに見えるんですよね…。

理解と同意(共感)と尊重が=で繋がってしまっているというか…。
言葉の使い方(認識)が違うから、最初に共感姿勢を見せていない=嫌悪している=加害行為=差別者と思って、相手(マジョリティ、らしい)のスタンスを勘違いして、相手が理解を履き違えた加害者だと思って「当事者ではないなんだから理解はできないし(場合によってはそこは理解しなくてもいい)、嫌悪を表明するのは加害行為なんだ」って諭している感じ。
でもそう諭している方も、諭している方いわく差別者(らしい)方も、ほぼ似たような事言ってるなあって思う時があるんですよね。

最終的には同じ見解をしている、というのも見た事はあるんですけど、
にも関わらず、いわゆるリベラル(?)さんというか、ポリコレと仰る方って、相手を差別者だと思って接するんですよね…。
差別者だって判断されたマジョリティ(らしい)の方が、ポリコレ棒って仰るのは、なんというか言葉の認識のズレ+怒っている姿勢(話をする気はない、その時はもう過ぎた)で、話すこともままならいから余計に…ポリコレ棒だって言われるんじゃないかなあって…。

あとマジョリティと同じようなスタンスの意見をマイノリティが仰ると、
「日本は差別を十分に批判している社会ではないし、加害者に寄り添わなくて良いんだ、マイノリティはもっと怒っていい」、的な事を仰るんですよね。
それが嫌だ、間違いだと思うって言ってるのに…。
そういう風に言われたマイノリティからしてみれば、憎悪を煽られて差別を広げている…っていう風に見えてポリコレ棒だって思われるのではないかと…。

怒っている姿勢で、マジョリティとの話もマイノリティとの話も跳ね除けてしまっているんですよね…。
それを意見を押し通す為(話し合うと正当性にフリな矛盾とか出てくるから議論したくない)にワザとやっている利権などを目的としたパターン…に煽られていると気付かない、差別はよくないよねって思っている普通の人、気付いていながらも自分を弱者を救う側にしておきたいタイプとか、まあ、色々ある訳で…複雑。

マイノリティと言っても、マジョリティの面も持つ普通の人だったりすると思うんですよ。
差別者に諭すマジョリティの人でも、辛い事を訴える時はマイノリティの立場から仰ったりするし…。

いわゆるセクシャルマイノリティの人も、個人的には普通の人っという感じなのですが、
セクマイ…LGBTやらについて、性という属性に関して妙に特殊(特別)色を出して訴えてくるのがいまいちよく分からないなあってなるんですよね。
LGBTであってもマイノリティの面が違う同じ人間(普通の人)みたいな感覚なので…。
なのでリブ(解放)云々は???ってなる所もあるのですが、
その辺の事情も、外国の歴史文化とか宗教的な面が関係しているみたいで、なるほど…ってなりました(カップル文化といい…そこか!ってなりましたわ…OSが違う)

外国だと、自分たちとは違う、別の特殊な人種として扱わないと安心できない、みたいな事情があるらしいんですよね…。
別枠にしないと受け入れらない環境があって、そうする事でようやく同じ人間枠なるというか…で、多様になって、今度は不快なものも目に付くのでそこはポリコレっと…なるっぽい?
(同化政策とどう違うのかなあ?って思いました…同化に関してはいわゆるリベラルさん?は批判的な意見だった気がするのですが…日本は駄目ってだけなのかな? グローバル的な統一OKみたいな感じだし…)
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